「いらっしゃいませ!ご注文はお決まりですか?」
ここは東京都世田谷区。
閑静な住宅地と環八通りがクロスする上用賀の一角に、お客様が絶えないお弁当屋さんがあります。店の名前は「キッチンひまわり」。ここは、都会の雑踏を忘れさせてくれるひだまりのような元気になれる場所。
このお弁当屋は「太陽に向かって咲く『ひまわり』のように、温かくエネルギッシュになって欲しい」。というコンセプトのもと、15年以上前からお店を経営しています。今回は、キッチンひまわりの代表・埜口 信男(のぐち のぶお)さんに、お弁当屋を始めた経緯、今後の夢についてお話を伺いました。
目次
「私がお弁当屋に?」33歳フリーターからの挑戦
「え、私がお弁当屋?」
キッチンひまわりを作ったのは2006年。私が33歳の時です。
大阪から東京に上京していた私は、恵比寿にあるハンバーグ店でアルバイトをしていました。
当時のバイト先のオーナーに恵まれ、アルバイトという立ち位置にもかかわらず料理のイロハ・経営の事を教わります。
そんなある日、オーナーからあることを言われました。この一言が私の人生を、大きく変えるきっかけになるとは夢にも思っていませんでした。
飛ぶように売れた初めての弁当販売
「埜口くん、外でお弁当売ってくれない?」恵比寿でアルバイトをしていたレストランのオーナーからのお願いです。「はい!わかりました」二つ返事でOK。
店の外に机を出してお弁当を手売りしました。当時は、お弁当の店頭販売が珍しい時代というのもあり、売れ行きは大好調。
「え、お弁当ってこんなに売れるんだ!」あまりの売れ行きに、ビックリしたと同時に、仕事に対して初めて「楽しい」と思えた瞬間でしたね。今振り返ればこの体験こそが、今の私を作っていると思います。
弁当屋になるつもりはなかった
実は私、小さい頃からピアノが大好きで、将来の夢はピアニスト。生まれは大阪ですが、音楽の道に進みたいとう思いから、19歳の時に上京しました。
当時は六本木のバーでピアノの演奏をする仕事をしていました。しかし、音楽の演奏は、毎日仕事が入るわけでもなく音楽だけでやっていくことができません。そこで、未経験からでもスタートできる飲食店でアルバイトをしたんです。それが、先程の恵比寿のハンバーグ屋です。
ピアニストの夢VS家族の愛
「もう、覚悟を決めるしかない!」私が弁当一本で行こうと決心したのは子供が産まれた時でした。
本当はこのままアルバイトをしながらピアニストの道を進みたかったのですが、「家族」という守るべきものができたことで覚悟が決まりました。
僕にできることはなんだろうと考えたところ、当時アルバイトをしていたハンバーグレストランで、お弁当販売が成功したことを思い出しました。
そして「キッチンひまわり」という屋号でお弁当屋をスタートしました。
寝る間も惜しんで働いたキッチンひまわり創業初期
起業当初は寝る間もなく働きました。
ご存知かもしれませんが、弁当屋さんの朝は、とても早いんですよ。
当時は私一人で切り盛りしていたので、早朝に出勤し、
・食材の仕込み
・調理
・盛り付け
・配達
・翌日の食材の発注
・翌日の備品の準備
・請求書の準備
・電話の受付
などをしていました。
空いた時間を見つけては近隣の方に「お弁当の配達やっています」という宣伝のチラシを巻くなど、とにかくお弁当を売るために必死に営業しましたね。
宣伝の甲斐もあって、少しずつ近隣を中心に、広まっていきました。
馬車馬のように働いた創業当初から大切にしている考えがあります。
もし、この考えがなければ、今のキッチンひまわりは無かったかもしれません。
作品ではなく商品を売る
私が創業当初から大切にしているマインドがあります。それは、「自分が売りたいものを売っても売れない」。
お客様が望んでいるものを売って、初めて対価を受け取れるということです。お客様が欲しいのは「商品」なのに、自分たちが売りたいのは「作品」になってしまいます。
やっぱり自分が作った物って、「これが一番だ!」と愛着が湧いてしまうんですよね。だから頭ではわかっていても、私たちは「作品」を作りたくなります。人間誰しも自分が作ったものを「カワイイ」と思う生き物なのです。そんな私も六本木でピアノを弾いている時に、「作品」を売ってしまい大きな失敗をしてしまいました……。
ピアニストとしての失敗から学んだこと
音楽が好きだった私は「私が一生懸命作った曲を聞いてほしい!」という気持ちもあり、自身で作曲したオリジナルの曲を演奏しました。
しかし、お客様は料理とお酒と会話に夢中で、誰一人ピアノを演奏する私を見てくれません。「私の演奏が下手だったのかな…」エンタメを提供するピアニストにとって反応がないのはショックなことです。
後日、気を取り直した私は、プライドを捨て、誰もが知る「ビートルズ」の曲を六本木のバーで演奏しました。すると、今まで背を向けていたお客さんが、身体ごと移動をして、ピアノのほうを向いてくれました。中には手拍子をしてくれるお客さんまでいらっしゃいました。
あの時の一体感は忘れられないですね。「お客様が求めるものを提供する」という経験は、お弁当作りにも生きています。
お客様の「食べたい」を追求したハンバーグ弁当
ピアニスト時代の経験を活かして、お弁当作りでも常にお客様のことを考えてメニューを考案するようにしています。キッチンひまわりが得意としているのは「炭火で焼いたハンバーグ弁当」。
ヘルシーなものが求められる世の中で、「なぜ、カロリーの高いハンバーグを出すの?」と思う方もいると思います。たしかに、ハンバーグと聞くとヘルシーというイメージからはかけ離れています。ガッツリなイメージで健康とはほど遠いですよね。
ですが、私の中でお弁当とは、“ケーキ”みたいなものだと思っています。
“ケーキ”のようなハンバーグ弁当
「ケーキみたいなお弁当?」とびっくりした方もいらっしゃるかもしれません。少し想像してみてください。「ケーキ」と聞くとちょっと特別感があり、気持ちが上がりませんか?
「ダイエット中だけど今日くらい!やっぱり、甘いものは幸せだな」そんなふうに、日常生活を豊かにしてくれるのが、ケーキだと私は思っています。
背徳感こそ最高のスパイス
そんな私がイメージする「ケーキみたいな弁当」とは、「ハンバーグがあるから頑張ろう!頑張ったから好きなものを食べよう」と、仕事のモチベーションにつながる楽しみの一つになるのがお弁当です。お客様が「本当に食べたいもの」を提供することで、日常が少しワクワクするような体験を届けたいのです。
固定観念がないからこそ作れる「キッチンひまわり」のお弁当
「こうでなきゃ!という固定観念が無いんですよね…」
私は元々ピアニストで、料理のことがわからないから言えるのかもしれませんが、弁当や料理に対するこだわりがありません。
もちろん、お客様のことを一番に考えて日々お弁当を作っています。「今の時代にお客様に求められているものって何だろう…」常に消費者目線でお弁当の事を考えています。
新しいものが大好き!
実はキッチンひまわりのお弁当には、「仕切り」が無いんです。
一般的に目にするお弁当は、
・ご飯を入れる場所
・おかずが入る場所
・漬物の場所
と、それぞれお部屋が分かれているものをイメージされる方も多いと思います。
お弁当でもレストランのような、雰囲気を楽しんでほしい!そんなふうに思い、当時業界ではまだ珍しい「皿盛り」を採用しました。皿盛りとは、仕切りのないお弁当箱にご飯、おかず、副菜を順番に盛り付ける方法です。それがお客様に大ヒット。当時、廃盤になりかけていたパックメーカーも軌道に乗り出しました。
弁当のアイデアは「アパレル」と「花」から輸入
今後は、新しいブランド作りにもチャレンジしていきます。
ここ数年で、私たちの生活様式がガラリと変わったように、お客様に求められるものも変化しています。だからこそ、常に新しい挑戦をしなければお客様に満足していただくことは難しい。そんなふうにも思っています。
新しいブランドのヒントになったのは「アパレル」と「花」です。ファッションやガーデニングの業界にトレンドカラーがあるように、流行はの移り変わりは激しいです。そこで人気のトレンドを何かお弁当でも反映できないかなーと常にアンテナを貼るようにしています。
逆に、お弁当屋さんにばかりに目を向けてしまうとアイデアが凝り固まってくるので、なるべく他業種を参考にしています。最近はピンクやパープルが流行っているので、お弁当でもビーツや紫キャベツを入れて目で見ても楽しい商品を開発しています。
キッチンひまわりの予約はくるめし弁当で
キッチンひまわりのお弁当は、テレビ撮影の現場、会社の会議など、人が集まるシーンでご利用いただいております。「美味しいハンバーグが食べたい!お肉好きのゲストに喜んでもらいたい」そのような方にぜひ召し上がっていただきたいです。
▼ご注文・ご予約はコチラ
https://www.kurumesi-bentou.com/kitchen_himawari/